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クラウドファンディング挑戦や
自社ブランド立ち上げで、
分かった一番大切なこと

クラウドファンディング挑戦や
自社ブランド立ち上げで、
分かった一番大切なこと

藤田 真徳 Fujita Masanori

季節料理福太郎店主。一般社団法人紀州終活協議会では、代表理事を務め、終活セミナーの開催等にも尽力している。きっかけは親類の終活に接したこと。死に向かう前にできることを考え、将来の不安をなくすことで今を楽しく生きることを伝えている。

季節料理福太郎
〒649-6531 紀の川市粉河980-1
TEL.0736-73-6981

酒粕から始まった和食料理人が作るレアチーズケーキでのクラウドファンディング挑戦。コロナ禍で一変した飲食業の中で、地域に必要とされる店づくりを目指し、紀の川市を食を通して活性化させたい。

和食屋なのにチーズケーキでクラウドファンディングに挑戦


「福太郎」店主藤田さんに転機が訪れたのはコロナ禍であった。定休日も欠かさずお店に来て、掃除や仕込みをするほどの仕事大好き人間な藤田さん。営業日は、ランチ、ディナー、仕出しと休みなく仕事をする日々。そしてコロナ禍になり、営業できない日々。まさかの暇が訪れた。

「福太郎」の前身「福寿司」は、先代の父が33年前に創業した。13年前、現在の店舗を建築した際にお寿司メインの業態から和食のコース料理を中心としたメニューにリニューアルオープン。女子会ブームなど女性の集まりが増えてきた時代で、コース料理が人気となった。

元々需要のあった法事などの仕出しに加えて、企業からの注文も頻繁で、高級なお弁当もよく出た。先代の時代はカウンターメインで、常連のお父さんたちがたくさんいて、お酒とお寿司、肴が出る高単価な良い時代であったが、外食産業の時代の流れは早く、乗り遅れるとあっという間に繁盛店ではなくなる。それを見越した藤田さんはカウンター&寿司から、顧客層を若くするために個室&コース料理へと切り替えて成功したのであった。

コロナ禍のチャレンジは酒粕から始まった

しかし、コロナウィルスによる休業要請や時短営業。
藤田さんに「時間ができた」と同時に「不安」も募った。初めて感じた店の存続の危機。
YouTubeやインスタグラムの発信を勉強し、新しい事を模索したがなかなかひとりの力では難しいと感じる日々。そんな時たまたまもらった10kgの酒粕。和食では、粕汁や粕漬け、甘酒で使う身近な食材だが、調べてみたら蔵ごとに異なる香りや味わい。栄養価も飲む点滴と言われるほど高い。これは面白い食材だと気付き、試行錯誤の結果、できたチーズケーキ。元々クリームチーズと合うことは分かっていたが、こんなにも美味しいとは。
自粛営業でできた時間を逆に利用して、酒粕を徹底的に研究し、本格的に酒粕を使ったブランド「米白(こめしろ)」を立ち上げることになったのでした。

さて美味しいチーズケーキはできたが、和食屋が作ったチーズケーキは売れるだろうか?どうやって売ろうと思案に暮れる日々。スイーツ企画に精通している株式会社コンフォート(和歌山市)の山添氏を迎え、クラファンに挑戦することに。「インターネットに精通していないとできないと思っていたクラファンに、SNSを始めたばかりの自分が挑戦するとは思いもよらなかったですね」と思い出す。

クラウドファンディング結果

紀州レアチーズケーキ『酒蔵めぐり』
・ 目標金額 500,000円
・ 最終支援総額 1,459,300円
・ 達成率 291%
・ 支援者数 169人
大成功をおさめ、酒粕から作られたチーズケーキは世に出たのであった。

たくさんの人に支えられ、頑張れという声に勇気と幸せを頂いた

このクラファンで感じたことは、人とのつながりである。
粉河町で生まれ、今は紀の川市になり、食の仕事をしている。コロナ禍でたくさんの人に支えられ、頑張れという声に勇気と幸せを頂いた。徐々に開発されていく街並みではあるが、30分で大阪、関空、でも大自然に囲まれ、住みやすく、のんびりしていて、人の良いまちだと再認識した。
28歳で大阪の割烹料理店からUターンした時も、商工会に入ると、すぐに地元の方と打ち解けて友達も増え、コミュニティの輪の中に。それから、店を継いだ時も地元の皆さんが応援してくれた。

紀の川市の魅力は、ほどよい田舎なところであり、飲食業を営むうえで食材は重要であるが、季節に応じて分かりやすく旬の素材が変わっていき、土から順番に出てくる。
「歴史あるお店も多く、33年続いている当店でもまだまだひよっこ。新しいことにどんどんチャレンジしていきたいし、紀の川市でならできると思うんです」と藤田さん。

「学生の頃は、両親が飲食店をしていて夜遅いため、朝起きてくれないんですよ。高校の3年間は自分で弁当作ってましたね。これが料理人になった基礎でしょうか。紀の川市の美味しい食材が絶えず家にありましたから」

取材:2022年1月8日