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紀の川市の大自然と向き合っていると、
いつの間にか笑顔になっているんです
紀の川市の大自然と向き合っていると、
いつの間にか笑顔になっているんです
村井 啓太 Murai Keita
紀の川市民歴27年
千葉県出身、53歳。平成21年ユーピーパラグライダースクールが、母体から分社化したのをきっかけにユーピーネスト株式会社の代表になる。スクール出身者が日本選手権や世界選手権でメダルを取るなど、スカイスポーツの普及に尽力。
ユーピーパラグライダースクール
和歌山県紀の川市竹房391
TEL.0736-77-7088
出身地の千葉を引き払い、両親も呼び寄せて紀の川市に住んでいる村井さん。パラグライダーが引き寄せた村井さんと紀の川市の縁。「紀の川市は中途半端な田舎なんて言われますけど、生活も便利で、インフラも揃って、それでいて大自然がすぐ近くにある!こんな場所は、日本中どこにもありません」と村井さんは声高らかに笑う。
目次
パラグライダーとの出会い
現在53歳で、28歳まで東京でサラリーマンをしていた村井さん。
パラグライダーの魅力に惹かれたのは27歳の頃。大型バイクでツーリングしていた時、ふと空を見上げるとパラグライダーが気持ちさそうに飛んでいた。日本各地の高原をバイクで颯爽と走るのも快適だったが、空を飛ぶのも楽しそうだなと、ふと思った。そして、山梨県でパラグライダーの体験飛行をしたのだった。
体験飛行は、二人組になり、後ろに先生に乗ってもらって飛行する。何も分からないまま、空に浮かび、着陸し体験は終わった。普通はもっと施設に通い、パラグライダーの練習をして、ひとりで飛べるようになってから仕事としてパラグライダーを選びそうなものだが、村井さんは、たった1回の体験飛行だけのスキルで、和歌山県紀の川市のユーピーパラグライダースクールにやってきた。
「パラグライダーの仕事をさせてください」と当時のスクール長にお願いし、東京での安定した仕事をやめて、アルバイトとして働かせてもらうことになる。初心者で、住み込みバイトで、不安いっぱいの28歳だった。
朝早く出社し、先輩に教えてもらったり、お客さんの補助をしたりの毎日。ひたすら練習して、飛ぶことを覚えた。パラグライダーは、ほぼ未経験なので、勉強も必要だし、草刈りや機具の整備など雑用も山積み。そんな中、半年間懸命に働き、正社員にしてもらえることになった。パラグライダーで生きていくという夢への第一歩だった。
一番辛かったのは、日本なのに言葉の壁!?
意外にも仕事や雑用、パラグライダーの練習は、苦ではなかった。
辛かったのは関西弁。今でも標準語で喋る村井さんだが、当初関西弁は横柄に聞こえたそうで、慣れないノリツッコミの会話にいつも戸惑っていた。今では笑い話になるが「その話、オチあるんか?」と言われる度に、「毎日恐怖を感じていましたよ(笑)」
なぜ、紀の川市のこのスクールを選んだかというと、パラグライダー専門雑誌に求人が載っていたからで、当初特に紀の川市に思い入れはなかったが、たまたま選んだ縁は今も続く。全国的にみても紀の川市ほどパラグライダーにてきした街は稀で、山奥過ぎず、着陸に適した河原があり、冬でも雪が少なく気候も穏やかなのだ。京都や兵庫にもパラグライダーで飛べる場所はあるが。冬は山深く雪が積もるため、紀の川市に多くのフライヤーが来てくれるという。
フライヤーにとって、パラグライダーの魅力は、何にも包まれていない浮遊感。ゆっくりと風切り音を聞き、上昇気流に乗れば、らせん階段を昇るように飛び続けることができる。この風切り音はバイクに乗っている音にも似ていて、バイク好きだった村井さんが心地よく感じたのかもしれない。
ここ紀の川市から奈良方面まで飛んで、帰りは電車で帰ってきた人もいるという。昔は鳥のような感覚と言っていたが、今はドローンのような感覚と言うほうがしっくりくる表現だ。意外にも飛んでいるときには高所恐怖症の人でもあまり怖いという感覚はなく、着陸の時にも着陸のための手順をあれこれ考えているので怖いと思う間もないと言う。老若男女が楽しめるスカイスポーツ、それがパラグライダーの魅力である。
食べ物の物々交換は、田舎のよい風習です
自然のなかで仕事している村井さんだが、紀の川市の春夏秋冬は五感に響くという。
桜の後は新緑になり、鳥の声は替わっていき、果実は花から実になり、野菜は次々芽生えていき、花の匂いは街中に漂う。すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚が、年中紀の川市を感じるのである。その自然の恵みを食べて生きる。それを皆で分け合う。おすそ分けをしたら、おすそ分けをもらう。人間の力で作ったビル群より、人間が作ることのできない自然は、はるかに地域にとって財産だと思う。村井さんは、ここ紀の川に毎日立ち、空を眺め、自然を見届ける義務を負って生きているような気がするという。
村井さんは、移住して25年が経ち、家族も紀の川市でできた。和歌山では珍しい?標準語のパラグライダーの先生としてキャリアを積み始めた頃、パラグライダー教室に生徒として来た和歌山市出身の奥さんと出会う。紀の川市で生まれた子どもはもう今年で20歳と15歳になり、
千葉から呼び寄せた両親も紀の川市に移住し10年になる。
千葉の実家は引き払い、いつしか自分たちも含めた墓の話をするようになった。「5人も紀の川市民を増やしましたよ(笑)」その笑顔は、パラグライダーが浮かぶ青空のように清々しい。
取材:2022年6月9日