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住いも甘いも紀の川市「Good for Kinokawa」

トップページ 読みもの 毎日が元気の源。偶然に導かれ、私が選んだ紀の川市。

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毎日が元気の源。
偶然に導かれ、私が選んだ紀の川市。

毎日が元気の源。
偶然に導かれ、私が選んだ紀の川市。

薗田 涼子 Sonoda Ryouko

鹿児島出身。「古民家カフェ Cafe Tomobuchi」オーナー。18歳で神戸のAM局「ラジオ関西」でフリーアナウンサーとしてデビューし、数多くの生番組や司会業を務める。その他にも”世界最高齢バンド”としてギネス世界記録を保持するJAZZバンド「ゴールデン・シニア・トリオ」のマネージャーや、東北復興支援として若手漫才コンビと各地の小学校を巡る「笑学ワークショップ」講師など幅広く活動。

大阪市内から車で約1時間半。高野山へ繋がる山道を抜けた先に紀の川市・中鞆渕(なかともぶち)地区はある。昼夜の寒暖差を活かした黒豆や、ちぢみほうれん草が有名なこの場所で、「古民家カフェ Cafe Tomobuchi」を営む薗田涼子さんにお話を伺った。

直感を信じ、迷いなく決めた移住先

鹿児島で生まれ、3歳から大阪で暮らしていた薗田さん。
インテリアデザイナーになりたいと、当時の大阪市立工芸高等学校・木材科に通った。
ある日、所属していた放送部にタレント養成所のオーディション案内が届く。
「ロン子、受けてみたら?」と部長から手渡された応募用紙には、「17歳から」という応募条件が。奇しくも、その日が薗田さんの17歳になる誕生日だった。
縁を感じオーディションを受けると、厳しい倍率の中を勝ち抜き合格。その日から薗田さんのフリーアナウンサーとしての人生が始まった。

「思い返せば、人生が大きく変わるタイミングはいつも突然でした。」と薗田さん。
還暦を目前に、40年以上続けたフリーアナウンサーの仕事もそろそろ潮時と考えていた。楽しみながら懸命に駆け抜けた日々を振り返り、人と話すことが何より好きなのだと改めて感じた。そして、自分の好きなことができる場所を次は自分でつくろうと、田舎に古民家カフェを開くことを決意する。

「場所にこだわりはなかったのですが、やるなら早い方がいいと思って。」
自身の還暦パーティーで周囲に決意表明をしてすぐ、和歌山に移住した知人の勧めで行き先を和歌山に決定。自分の納得の行く空き家を探すため、一度居住地を和歌山市に移した。
そこから移住先を紀の川市に決めるのに時間はかからなかった。
「名前がとにかく気に入って。『紀ノ川』といえば、有吉佐和子のイメージ。女一人でたくましく生きる主人公と自分が重なるし、私にぴったりやんって。それに文字も書きやすいでしょ。」

何軒もの空き家を見て回り、ようやく理想の物件に出会った薗田さん。
2016年8月、念願だった紀の川市への移住を果たした。


今の自分だからこそ楽しめること

中鞆渕地区に水道が通ったのは、薗田さんが移住してから8ヶ月後のこと。それまで地域住民は、生活用水として井戸水を使用していた。
カフェを開業予定だった薗田さんは、衛生上、店で井戸水が使えないことを移住した後に知った。「ほんまに知らないことばかりで。蛇口をひねれば水が出るなんて、当たり前やと思っていたから。」

都会で長く暮らしてきた薗田さんにとって、紀の川市での暮らしは驚くことも多かった。
送り主不明の野菜が、突然玄関前に置いていることはしばしば。
気づくと庭の畑にネギが植えられていたこともあった。

「老後は静かに暮らしたいという人には、田舎より都会の方がいいといつも話します。田舎はお互いの気づきや心配で成り立っていますから。でもこれが、本当に毎日楽しい。」
年齢を重ねるにつれ、わかることも増えてきた。今の自分だからこそ、楽しめることがあるのだと薗田さんは話す。


これからも、地域に愛され続けるお店へ

一人でカフェを切り盛りし、休日も店の仕込みや畑の手入れなど忙しい毎日を過ごす薗田さん。
元気の秘訣を尋ねると、「お客さんと話をすること。暇な時間なんてないんです、常に動いているから。店に立つことが一番の健康法。」と笑顔で話してくれた。

何よりも地域の理解を得ることを大切にしてきた薗田さんだから、創れる関係や空間がある。自分の好きなことができるこの場所が、もっと地域に愛され続けるように、今日もまた薗田さんは笑顔で店頭に立つ。


教えて!センパイ!

きうぷる

紀の川市を一言で表すとなにぷる?

薗田さん

「来てよかった!」

きうぷる

移住者へのアドバイスをお願いするぷる?

薗田さん

自分だったら?と常に考えて動くことが、地域との関わりの中で一番大事な気がします。

きうぷる

紀の川市のお気に入りの場所はどこぷる?

薗田さん

名手にある「candy」さんへ娘とよく行きました。紀の川市ではないですが、紀美野町でカフェ巡りをするのも好きです。


Inteview Movie

移住フロー(薗田 涼子さんの場合)

目的を決める

自分の好きなことができる場所として、田舎で古民家カフェを開こうと決意。移住者へのアドバイスに「田舎で何がしたいかが大切」だと話す薗田さん。ただ、漠然と田舎で暮らすのは苦労すると、移住後の生活の中で感じている。

言葉にして周囲に伝える

自身の還暦パーティーで、決意表明。それがきっかけで、移住先が和歌山に決定する。言葉にすることで、はじめて繋がる縁がある。それまで全く視野になかった和歌山と、薗田さんを繋いだきっかけとなった。

実際に足を運ぶ

理想の空き家を見つけるべく、和歌山市に仮住まいを移す。ネットでも情報収集していたが、ネットには掲載しない良い物件も多い。現地の人からの口コミや紹介を頼りに、自らの足を動かし、理想の場所を見つけた。

自分の直感を信じる

当時は紀の川市に移住専門窓口がなかったため、移住の相談や支援制度などは特に利用しなかったという。「紀の川市」という名前が気に入り、直感で移住先を決めた薗田さんだが、明確な目的と圧倒的な行動力から生まれた「直感」が、運を引き寄せた。

移住・開店

移住後、約8ヶ月後の水道開通を待って、2017年5月にカフェオープン。空き家のリフォームや水洗トイレ用の浄化槽の設置など思った以上に費用がかさんだ。地方移住は、安く暮らせるイメージもあるが、計画的な資金繰りは重要。

この記事を書いた人

ぷるるん課長

薗田さんは、元フリーアナウンサーで現在もお仕事として司会業をされている「言葉のプロ」。不安と緊張でちぐはぐな質問も、キレのある返しで一気に場が和んだ。薗田さんから語られる話はどれも、流れとリズムが印象的。新鮮な驚きもあれば、懐かしさも感じられる話についつい聞き入ってしまい、取材そっちのけで長話をしてしまう場面も。
そんな中で最も印象的だったのが、あなたにとって人生の旬とは?という問いへの薗田さんの答え。「今。今が旬。生活を楽しめているうちは、いつだって旬。死ぬまで旬でいたい」
ひとつひとつの言葉に、そのお人柄や人生の軌跡が滲み出る。年齢や仕事、場所を問わず輝き続ける薗田さんから、多くのことを学んだ1日となった。