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10年越しにたどり着いた、
農地付き古民家ではじめる第二の人生。

10年越しにたどり着いた、
農地付き古民家ではじめる第二の人生。

岩佐 昌英さん
岩佐 幸
Iwasa Masahide
Iwasa Sachi

徳島県生まれの昌英さん。幼少期に大阪へ移り住む。国立大学を中退後、大阪教育大学に進み、最近まで大学講師として教壇に立っていた。大学時代に出会った幸さんとは、27歳で結婚。年を重ねてからの理想の暮らしを実現するため和歌山県の空き家バンクを利用し、農地付き古民家を購入。2020年12月に夫婦で紀の川市へ移住した。

富士山に似ていることから「紀州富士」と呼ばれ親しまれてきた龍門山。頂上からの眺めは素晴らしく、遠く淡路島まで一望できる。楠木正成が一時篭ったといわれる「風穴」や「明神岩」、5月下旬からは和歌山県固有種の「キイシモツケ」の群生なども見られる人気スポットだ。そんな名峰の麓で新たな生活を始めたばかりの岩佐昌英さん、幸さんご夫妻の元を訪ねた。

人生の軸を決めた学生時代

元々理学部入学を目指していた昌英さん。志望校受験に先駆けて行われたある国立大の入試に、模擬試験的に受験し合格。親戚の勧めもあり入学し、その中でパイロットを目指して勉学に励んでいた。そんな中、「自分の一生の仕事とは何か」と迷いを感じていた頃、高校生の時に見たNHKの番組が頭の中に見え隠れしていることに気が付いた。

「50年以上も前になる。どこかの街の肢体不自由児施設の運動会。運動会のプログラムの最後のメインイベントはマラソン。車いすや歩行補助具、装具など、子ども一人一人に応じた補助具をつけて走る。施設を出てちょっと畦道を回って、園に帰ってくる。保護者も施設職員もゴールの手前から畦道に並んで声援を送る。障がいの軽いの子どもたちは早く帰ってきて畦道に並んで応援したり、遅れて帰ってきた障がいの重い友達に寄り添って一緒にゴールインしている映像。その光景が強く心に残っていて。一生の仕事としていつかそんな仕事がしたいと心のどこかで想っていたようです。」
国を守る仕事も大事なことだが、生涯の仕事として、障がい児教育に携りたいと考え、大阪教育大学を受験し合格。そこから昌英さんの教育者としての人生が始まった。卒業後、大阪の南河内地区の小学校で働き始め、2年目にして支援学級の担当に。

人生は選択の連続。あの日の選択に自信が持てず、迷う日もある。それでも教師として働き続けたのは、「ことばの前のことば」への想いがあったからだという。「支援学級の生徒の中には、ことばで表現するのが苦手な子もいます。『あ、あ!』と必死に私に伝えようとする彼らの思いを、近くにいる私がことばにする仕事に誇りとやりがいを感じています。そしてまた、障がいのある本人や保護者だけでなく地域の中の多くの関係者と連携を取ること大切さに気が付いたからです。」と昌英さん。同じ思いで教師として働く幸さんとは、大学時代に出会い27歳で結婚。定年退職後も、お互いに教師の仕事を続けている。


これからの暮らしを考え抜いた10年

55歳になる頃、夫婦で定年後のことを考えはじめた。
「仕事をしながら子育て、そして両親のことで忙しく過ごした30年。60歳の定年退職後の生活は、日々の生活を自由にゆったり味わいながら過ごしたい。夢が膨らみます。海があって山があって。そういう理想の暮らしをとにかく毎日考えていましたね。」とお二人。
本やネットから情報を集め、気になる物件が見つかれば実際に出向き確かめた10年間。
自分たちの今後の人生と向き合い続ける中で、理想の暮らしが明確になった。

岩佐さん夫婦が考える理想の暮らしには3つのポイントがある。

①安心・安全に暮らすこと

海の見える海岸沿いの家に憧れたが、地震や津波の心配もあった。移住先を選ぶ上では、地域のハザードマップやインターネットによる多くの情報を確認し、地震や洪水、バリアフリーについて、実際に訪れ確認した。歳を取ってから被災することはできるだけ避けたい。

②つながって、楽しく暮らすこと

庭や畑、果樹園の植物や昆虫、鳥たちの生きとし生けるものの世界の中で一緒につながって生活することによって、毎日楽しく暮らしたい。そのためにも農地付き物件を探した。また、社会とつながる暮らしを大事にした。ご近所さんとのつながりはもとより、今まで携わってきた障がい児教育や保育、子育てに関することで社会に貢献できたらいい。

③快適に暮らすこと

外につながる大きい窓や庭に続くテラスに薪ストーブ、空調、ネットや映像音響の環境。快適な家づくりは、これからの暮らしに欠かせない。リノベーション費用の負担を少しでも軽くする移住支援などは念入りに調べた。

そうして和歌山県の空き家バンクを利用し見つけたのが、紀の川市の農地付き古民家。
「決め手は、紀の川市の穏やかな気候と、縁側からの見晴らしの良さです。家の横に畑もあって、窓を開ければ立派な龍門山が見えるでしょ。まだ住んではいませんが、この場所をとても気に入ってます。」
10年越しにたどり着いた理想の物件。ここから始まる新たな暮らしに思いを馳せる。


社会とのつながりの中で生きる

紀の川市に移住したのは2020年12月。住民票は紀の川市に移したが、まだ生活環境が整っていないため、前宅の大阪・河内長野から通いながらのスタートだ。
週末になると紀の川市の自宅を訪れ、畑作業やリフォーム計画を立てながら過ごしている。お気に入りの折り畳み電動自転車に乗って、景色を見ながら紀の川沿いや畑の中の道を走るのも楽しみのひとつ。

今後の目標を尋ねると、「ボランティアなど何らかの形で障がい児教育や保育、子育てに関わり続けたらいいですね。子どもが障がいを持っているのではなく、社会に壁があることを伝えていかなければならないことを痛感しています。今までの経験を活かして地域とのつながりを持てる何かをこれから探していきたいと思っています。」と昌英さん。

「私は、自分で作った野菜で料理を作れたら1日中楽しめそうだなと思って。あとは紀の川市はフルーツが有名でしょ。どんなフルーツが食べられるかしら、育てられるかしらと夢が膨らみます。」とは幸さん。
ようやくはじまる第二の人生。これから農業塾やご近所の農業の先輩に学びながら果物や野菜の栽培方法などを学び、ゆくゆくは自分の子供や孫、教え子たちと収穫を楽しみながら自宅の庭でバーベキューを楽しみたいと話す岩佐さんご夫妻。その柔らかで優しい表情から、二人の元に集う人々の明るい未来の声が聞こえてくるようだった。


教えて!センパイ!

きうぷる

Q1. 紀の川市を一言で表すとなにぷる?

岩佐さんご夫婦

「温かく穏やか(昌英さん)」
「豊かな自然(幸さん)」

きうぷる

Q2. 移住者へのアドバイスはあるぷる?

岩佐さんご夫婦

とにかくつながりが大切です。農業塾やJA、シルバー人材センターに相談したり。ホームセンターも品揃えもよく、レンタルも行なっているなど、機敏に相談に乗ってくれて重宝しています。最後になったけれど、市役所の地域創生課は、親身に相談に乗っていただき、地域につないでくれ、大変強い味方です。

きうぷる

Q3. 紀の川市で利用した支援はなにぷる?

岩佐さんご夫婦

耐震診断及び耐震改修工事の一部補助と浄化槽設備整備事業補助金を受けようと、手続きを進めています。


移住フロー

理想の暮らしを考える

55歳の時、定年を目前にこれからの人生を考え始めた。海の近くでの暮らしや、富士山の見える暮らしなど、自分達が求める暮らしを考え抜いた結果、「安心・安全」「つながって楽しく」「快適」など、暮らしへのこだわりが明確になった。

ネットで情報収集

こだわりの暮らしを叶える場所を見つけるべく、とにかく色々な情報をネットや人、本から集めた。災害の多い日本で、安心して暮らせるよう、地域のハザードマップなど細かなところまで目を通した。

和歌山県の空き家バンクを利用

和歌山県の空き家バンクを利用し、農地付き古民家を購入した第一号となった。家に畑がついていることで、自然と「毎日やらなければいけないこと」が見つかる日々に今から期待が膨らむ。

移住

古民家を購入し、紀の川市に住民票を移して2ヶ月。現在は、河内長野にある家から通いながら、古民家のリノベーション計画や畑仕事を進める毎日。

  • 和歌山県の空き家バンク

この記事を書いた人

ぷるるん課長

人生100年時代と謳われて久しいが、定年後も長く元気な日々は続く。今まで仕事や子育てに忙しく生きてきた人ほど、これからの生きがいを考え不安になることもあるだろう。そんな日々が目の前に差し迫った頃、第二の人生を考えて「地方移住」を選んだ岩佐さんご夫妻。便利な都会での暮らしにはない、「しなければいけないこと」が地方にはたくさんある。放っておけば草は伸び、水をやらなければ作物は枯れる。自然の中に生きがいを見出した岩佐さんご夫妻が目指すのは、毎日やることのある暮らしだ。そんな二人の話から、今後の人生について考えさせられた。