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住いも甘いも紀の川市「Good for Kinokawa」

トップページ 読みもの 畑でも、ステージでも。輝く場所は自分でつくる、ライフプロデューサーの生き方。

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of Kinokawa city

畑でも、ステージでも。
輝く場所は自分でつくる、
ライフプロデューサーの生き方。

畑でも、ステージでも。
輝く場所は自分でつくる、
ライフプロデューサーの生き方。

石郷岡 大助 Ishigouoka Daisuke

紀の川市民歴6年

名古屋市出身。自然農園「五風縁」オーナー。18歳で大阪市へ移り、BAR経営や衣装作家などの活動を経て、2017年、紀の川市へ移住。2019年に和歌山県立農林学校を卒業後、本格的に就農。化学肥料や農薬を一切使わない自然農業を営む傍ら、関西を中心にドラァグクイーンとして舞台に立つ。

紀の川市庁舎のある、紀の川市・打田地区。関西最大級を誇る産直市場「めっけもん広場」や、紀泉山系唯一の自噴する温泉「神通温泉」などの観光名所をはじめ、小学校や市民体育館など生活に必要な様々な施設がコンパクトに集結する。人口減少が叫ばれている紀の川市内において唯一人口が微増傾向にある、言わずと知れた紀の川市の中心部だ。そんな土地に4年前に移住を果たした、石郷岡 大助さんの元を訪ねた。

コンプレックスを美しく昇華させる場所

愛知県名古屋市で生まれた石郷岡さん。中学卒業後すぐに親元を離れ、大阪へ出てきた。
右も左もわからない若者が、都会で生きる現実は想像以上に厳しいことも多かった。そんな時出会ったのが、現在タレントとしても活動しているナジャ・グランディーバさんだ。

「当時はコンプレックスだらけでした。自分が何なのかもよくわからない。そんな時にナジャと出会い、ドラァグクイーンの世界に足を踏み入れるようになりました。気味悪がられることもあったけど、存在意義を感じるというのかな、驚かれるのが楽しくて。」
夜になると派手な化粧と美しい衣装を身に纏い、ステージの上で脚光を浴びる。自分のコンプレックスを昇華させる場所として石郷岡さんが選んだのが、ドラァグクイーンの世界だった。

驚くことに、自分でステージ衣装も手掛けるのだという石郷岡さん。
最初は自分のために衣装製作を続けていたが、次第に指名オーダーされるようになったことから衣装作家としての活動も始めた。
「よくすごいって言われますが、私もできないですよ。みんな最初はできない。巡り会う環境に運はあるかもしれませんが、できるできないは人類平等だと思う。不自由な環境が、自分を強くさせたのだと思います。」
与えられた環境を前向きに捉え、自分が気に入る世界を自分で切り開いてきた石郷岡さん。
その姿勢が周囲に人を集め、ドラァグクイーンとしての出演依頼はもちろんのこと、テレビ番組やインタビュー依頼も多く舞い込むようになる。


日々の癒しを求めた田舎暮らし

衣装作家としての仕事も増え始め、自宅の作業場が手狭になってきたタイミングで地方移住を考え始めた石郷岡さん。
「大阪で引越すとなると、今より広い家って単純に家賃が倍になるでしょ。元々、休みになると田舎へわざわざ出かけるくらい田舎暮しへの興味はあって。大阪での仕事も続けたかったので、大阪まで2時間くらいでいける奈良や和歌山、三重の物件を探し始めました。」

まずはネットで情報を集め、各自治体の空き家バンクなどサイトを見比べた中で一番システムがわかりやすかった和歌山に移住先を決めた。
そこから橋本市と紀の川市の物件を実際に訪れ、畑の間取りを気に入ったことが決め手となり、紀の川市の物件を選んだ。

「紀の川市の職員さんがとても親切だったことも、紀の川市を選んだ理由の一つです。めっけもん広場など、市内の名所を案内してくれたり、帰りに温泉の前で降ろしてくれたり。担当職員とは今でも繋がりがあるのですが、とても感謝しています。」と石郷岡さん。
色々な縁が重なり、2017年7月、紀の川市への移住を果たした。


自分にあった健康を、誰かにも

自宅横に一反ほどの畑が付いていたことをきっかけに、家庭菜園をはじめた石郷岡さん。
「見よう見まねで家庭菜園をしているうちに、こんな美味しいものができるんだったら人にも届けなくちゃと思い農家を目指すようになりました。」
2019年に和歌山県農林学校を卒業した後、本格的に就農。現在は、「五風縁」として、農薬や化学肥料を一切使わない自然農法で約20種類もの農作物を栽培している。

移住後に苦労したことを尋ねると、
「農業の入り口がわかりづらかったことです。新規就農者がまず何から始めたらいいのか、どこに相談したらいいのか全然わからなくてとても苦労しました。」と石郷岡さん。
全て手探りの中、何事も自分で調べ行動する姿に協力者が集まり、自然農家として2年目を迎える今では、大阪市内でマルシェを主催することも。他にも、定期便として無農薬野菜の宅配も行なっている。
「うちの野菜は、畑に実際に訪れ、自分で野菜を収穫体験した人にだけ販売しています。自分が想いを込めて作った野菜だからこそ、実際に顔を見て、話を聞いて、安心できる人に届けたいと思っています。」と石郷岡さん。
農薬や化学肥料を使わない自然農法では、店頭に並ぶ綺麗な野菜と比べて虫食いや色味などに違いがでることもある。安心・安全に自信と思いやりをもって育てているからこそ、直接体験することにこだわっているのだと話す。


人情味あふれるこの町で目指す、次なるステージ

好きなことができている紀の川市での暮らしは、自分にとって毎日が息抜きになっていると話す石郷岡さん。
「休みは1日もないかな。毎日何かしら働いています。仕事と遊びを一緒にしてるから苦に感じないのかも。中二病みたいなところがあって、ずっと同じことをしていると飽きちゃうんです。ミシンして飽きたら、次畑の仕事して。だから、今のやることが見つかる暮らしは理にかなっていると思います。」
思い通りにいかない自然の厳しさに触れ、自分の意思ではどうにもならないことがあると学んだ。畑を始めてから、いい意味で人に干渉しすぎないようになり、都会で暮らしていた頃より生きやすくなったことも、地方移住で変わった良い部分だという。

そんな石郷岡さんに今後の目標を尋ねると、
「ゆくゆくは東南アジアとの二拠点生活をしたいと考えています。夏と冬は、東南アジアでサツマイモでも育てながらのんびり暮らして、春と秋には紀の川市に戻り、お世話担っているお客さんへ美味しい野菜を届け続けれたらと。そのためにも、いつか私の活動を見て自然農法に興味がある新規就農者に、やり方を伝えながら引き継げたらなんて。まだまだ想像ですけどね。」と話してくれた。
常に自分の居心地が良い方向へ、運も味方にしながら流れるように進んでいく石郷岡さん。その前向きな流れを下支えする、まっすぐで明るい努力こそが最大の魅力なのかもしれない。


きうぷる

Q1. 紀の川市のお気に入りポイントはなにぷる?

石郷岡さん

悪いことが何もないことですかね。移住して4年経ちますが、嫌だと思う瞬間が本当に一度もない。それってすごいことだと思います。

きうぷる

Q2. 紀の川市へ来て一番苦労したことはあるぷる?

石郷岡さん

農業を始める時が一番苦労しました。農業への入り口がわかりづらく、初心者には何からはじめて、どこへ相談したらいいか、ハードルが高かったですね。

きうぷる

Q3. 移住者へのアドバイスはなにぷる?

石郷岡さん

その土地に敬意をもって暮らすこと。最初から100%受け入れてもらえるとは思わずに、信頼を勝ち得ていけばいいのかなと思います。


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移住フロー

ネットで家探し

大阪での仕事は続けたいと思い、奈良や和歌山、三重など大阪まで2時間くらいで通える範囲に家を探した。各自治体の空き家バンクなどネットで情報を集めたところ、和歌山県のシステムが一番わかりやすかったことが、和歌山を選んだ決め手。

移住後の暮らしをイメージ

色々な物件をネットの情報を元に比較しながら、移住後どんな暮らしになりそうかイメージを膨らませた。

実際に足を運ぶ

実際に内見に至ったのは、橋本と紀の川の二軒だけ。直感で動くタイプだったので、それほど多くの物件を実際に見比べることはしなかった。紀の川市の物件を訪れた際、畑の間取りや市職員の親切さに感動し、紀の川市への移住を決めた。

移住・就農

自宅に一反ちょっとの畑がついてたので、そこで家庭菜園を始めたことがきっかけで農業に携わるように。自分の思い通りにはいかないことも多く、自然の厳しさを痛感しながらも、自分で育てた野菜を食べれるありがたさを感じる毎日。

  • 空き家バンク

この記事を書いた人

ぷるるん課長

毎日休みなく働き続けているという石郷岡さん。ご自身の生い立ちや苦労も、明るく笑って話す姿が印象的だった。そのどこまでもポジティブなエネルギーの理由を尋ねると、「自分に素直でいること。嘘はつかない。そうしてると、自然と自分を応援してくれる人がでてくるもの。仕事も遊びの延長みたいなもので、何でも楽しんでやっているから苦じゃないのかもしれません。」と石郷岡さん。
健康についても決して凝り固まった考え方はせず、自分にあった方法で柔軟に生活の中に取り入れている。その姿勢に勇気づけられるファンは、私だけではないはずだ。
常に自然体で、自分が心地よいと感じる方へ流れるように暮らす石郷岡さんから、人生を楽しむ考え方を学んだ一日となった。